世界の音楽市場で絶大な影響力を持つ韓国のK-POP産業。かつては「3大事務所」と呼ばれるSM、JYP、YGが業界を牽引してきました。
しかし、BTSの世界的な成功を背景にHYBEが急成長し、今や「4大事務所」時代に突入しています。この4社は、それぞれ全く異なる経営戦略でグローバルの覇権を競っています。私がこの記事で解き明かすのは、各社が描く未来図とその具体的な戦術です。K-POPの今と未来を理解するために、彼らの戦略を徹底的に分析します。
K-POP「4大事務所」時代の幕開け
K-POP業界の勢力図は、ここ数年で劇的に変化しました。長らく続いた「3大事務所」の寡占体制から、新たな強者を加えた「4大事務所」による競争の時代へと移行したのです。
「3大事務所」から「4大事務所」へ
1990年代後半から2000年代にかけ、K-POPの基盤を築いたのはSM、YG、JYPの3社です。これら「3大事務所」は、創業者であるイ・スマン氏、ヤン・ヒョンソク氏、パク・ジニョン氏の強力なリーダーシップの下、独自のアイドル育成システムと音楽性で業界を支配してきました。
各社が明確なブランド・アイデンティティを持ち、K-POPを世界的な文化現象へと押し上げた功績は計り知れません。
地殻変動を起こしたHYBEの台頭
この安定した寡占体制に地殻変動をもたらしたのが、パン・シヒョク氏が設立したHYBE(旧Big Hit Entertainment)です。BTS(防弾少年団)の世界的な大成功により、HYBEは莫大な収益と資本力を手に入れました。
私が特に注目しているのは、HYBEが従来の事務所と異なるビジネスモデルを採用した点です。彼らは単なる音楽事務所に留まらず、プラットフォーム事業や積極的なM&A(企業の合併・買収)を駆使する水平統合型のエコシステムを構築しました。このHYBEの台頭により、業界は新たな競争の次元へと突入したのです。
【HYBE】プラットフォームで業界を再定義する巨大企業
4大事務所の中でも、HYBEは「規模」と「プラットフォーム」を武器に圧倒的な存在感を放っています。BTSという巨大IPの成功を基盤に、業界のビジネスモデルそのものを再定義しようとしています。
HYBEの核心戦略|マルチレーベルとWeverse
HYBEの戦略の核心は「マルチレーベル体制」とファンダムプラットフォーム「Weverse」です。マルチレーベル体制とは、複数の独立したレーベルを傘下に置く分散型システムを指します。
SOURCE MUSIC(LE SSERAFIM)、PLEDIS Entertainment(SEVENTEEN)、ADOR(NewJeans)などを買収・設立することで、多様な音楽性を持つアーティストポートフォリオを構築しました。これにより、特定アーティストへの依存度を低減させています。
Weverseは、ファンコミュニティ、限定コンテンツ、Eコマースを統合したプラットフォームです。アーティストが生み出したIPをWeverseに集約し、ファンをエコシステム内に強力に囲い込む戦略です。
強みと課題|圧倒的規模とガバナンス問題
HYBEの強みは、4大事務所最大の時価総額と売上高が示す「圧倒的な規模」です。多様なIPパイプラインにより、BTSのグループ活動休止中も安定した売上を維持しています。
一方で、課題も浮き彫りになりました。2024年に表面化した子会社ADORとの経営権を巡る対立は、マルチレーベル戦略の根幹にある「親会社の統制」と「傘下レーベルの創造的自律性」のバランスというガバナンス問題を示しています。
【SM】伝統のパイオニア、SM 3.0での再発明
K-POPのアイドル育成システムを構築したパイオニアであるSM Entertainmentは、大きな転換期を迎えています。創業者イ・スマン氏の退任とKakaoとの資本提携を経て、新たな経営戦略「SM 3.0」を打ち出しました。
SMの核心戦略|マルチ制作センターへの移行
「SM 3.0」の核心は、従来の単一的な制作システムからの脱却です。創業者のプロデュースに依存していた体制を改め、「マルチ制作センター/レーベル体制」を導入しました。
これは、所属アーティストを5つの独立した制作センターに再編し、各センターが裁量を持ってIPを創出する仕組みです。私が考えるに、これはIP創出の「速度」と「多様性」を高めるための大規模な内部改革です。HYBEがM&Aで多様性を確保したのに対し、SMは内部組織の再編でそれを実現しようとしています。
強みと課題|KakaoとのシナジーとIPの更新
SMの強みは、東方神起、EXO、NCT、aespaといった各世代を代表する強力なIPラインナップと、「SMP」と呼ばれる独自の音楽的アイデンティティです。
新体制下の課題は、この「SM 3.0」を実質的に機能させることです。2023年にデビューしたRIIZEの成功は、その試金石となります。IT大手KakaoのプラットフォームやAI技術とのシナジーを具体的にどう生み出していくかも、今後の成長を左右する重要なポイントです。
【JYP】現地化戦略でグローバル市場を攻略
JYP Entertainmentは、創業者パク・ジニョン氏の明確な哲学に基づき、堅実かつ効率的な経営で知られています。彼らの武器は、特定市場への「適応性」を重視した独自のグローバル戦略です。
JYPの核心戦略|Globalization by Localization
JYPの最も際立った戦略が「現地化によるグローバル戦略(Globalization by Localization)」です。これは、K-POPの育成システムを現地に輸出し、その国の市場に特化したアイドルグループを創出するアプローチです。
この戦略は、日本のソニーミュージックと共同で行った「Nizi Project」から誕生したNiziUの大成功によって証明されました。この成功モデルを、北米市場向けのGIRLSET(旧VCHA)や中国市場向けのBOY STORYへと展開しています。文化的な障壁を下げ、低リスクで海外市場を開拓する非常に合理的な戦略です。
強みと課題|NiziUの成功とモデルの拡張性
JYPの強みは、TWICEやStray Kidsといった強力なIPと、安定した財務体質です。NiziUの成功は、現地化戦略の有効性を強く示しました。
最大の課題は、この日本での成功モデルが、競争環境や文化が全く異なる米国市場などで同等の成果を上げられるかという「拡張性」です。パク・ジニョン氏個人のクリエイティブに依存しないシステムを確立できるかも、長期的な課題と言えます。
【YG】音楽的アイデンティティへの原点回帰
ヒップホップを基盤とする独自の「スワッグ」なスタイルで、常に他社と一線を画してきたのがYG Entertainmentです。彼らは今、大胆な「選択と集中」によってブランドの「核心」に再び焦点を当てています。
YGの核心戦略|中核事業へのリソース集中
YGは2025年初頭、俳優マネジメント事業を終了するという重大な決断を下しました。これは、多角化戦略が必ずしもブランド価値を高めなかったという反省に基づき、経営資源を中核事業である「音楽」に再集中させる「原点回帰」戦略です。
YGの最大の強みは、BIGBANGやBLACKPINKに代表されるユニークな音楽的アイデンティティです。規模で劣る分、ブランドの純度を高め、高品質な音楽IPの創出にリソースを集中させる道を選びました。
強みと課題|ブランド純度とリリース頻度
YGの強みは、G-Dragon氏やTEDDY氏といったプロデューサー陣が築き上げた、他社には真似できない「YGサウンド」という強力なブランドです。
しかし、長年の課題として「アーティストのリリース頻度の低さ」が指摘されてきました。新戦略の下で、BABYMONSTERのような新人IPを成功させつつ、主力アーティストの活動を安定化させることが、投資家やファンの信頼回復に向けた最優先事項です。
4社の経営戦略を徹底比較
ここまで見てきたように、4大事務所はそれぞれ全く異なるアプローチでグローバル市場に挑んでいます。ここで、各社の戦略と財務状況を表で比較し、その違いを明確にします。
ビジネスモデルの違い
各社が採用するビジネスモデルは、その成り立ちと目指す未来を色濃く反映しています。
項目 | HYBE | SM | JYP | YG |
IP創出モデル | マルチレーベル(M&Aと育成) | マルチ制作センター(内部再編) | 中央集権型(創業者主導) | 中央集権型(プロデューサー主導) |
グローバル戦略 | プラットフォーム主導のM&A | コンテンツ主導(SM 3.0) | 現地化によるグローバル戦略 | グローバルツアーとコラボ |
プラットフォーム | Weverse(自社エコシステム) | Dear U/Bubble(提携) | FANS(自社アプリ) | Weverse(提携) |
音楽的アイデンティティ | 多様(レーベル依存) | SMP/洗練されたポップ | ブラックミュージック/フックソング | ヒップホップ/R&B |
財務・アーティストポートフォリオ比較
企業の体力と将来の成長性を測る上で、財務状況とIP(アーティスト)のパイプラインは欠かせません。
項目 | HYBE | SM | JYP | YG |
時価総額 (KRW) | 約12.16兆 | 約3.24兆 | 約2.70兆 | 約1.82兆 |
旗艦アーティスト | BTS, SEVENTEEN | 東方神起, EXO, NCT | TWICE, Stray Kids | BIGBANG, BLACKPINK |
主要成長アーティスト | TXT, LE SSERAFIM, NewJeans | aespa | ITZY, NMIXX | TREASURE |
近年の/今後のデビュー | ILLIT, KATSEYE (2024) | RIIZE (2023), Hearts2Hearts (2025) | NEXZ (2024), GIRLSET (2025) | BABYMONSTER (2023) |
※時価総額は2025年第3四半期時点の参照情報に基づく概算値です。
この比較からも、HYBEが財務規模で他社を圧倒し、JYPが現地化IPのデビューを積極的に進めていることが分かります。SMとYGは、それぞれ新体制下での新人グループの成功に注力しています。
まとめ|K-POPの未来を牽引する4つの戦略
K-POP「4大事務所」時代は、4社4様の異なる戦略が激突するダイナミックな市場です。
HYBEは「プラットフォームによる規模の経済」を追求し、SMは「内部改革による効率化と多様化」を目指しています。JYPは「現地化による市場の各個撃破」を実践し、YGは「ブランド純度の最大化」というブティック戦略に舵を切りました。
私が確信しているのは、これら4社の戦略的な賭けの結果が、今後数年間のK-POP業界の地図を決定づけるということです。どの戦略がグローバル市場で最も有効なのか、引き続きその動向から目が離せません。