共感者多数?『ロマンスは別冊付録』で私がダニを嫌いだと感じた瞬間

『ロマンスは別冊付録』は、多くの視聴者にとって心温まる「癒し系ドラマ」として愛されています。出版業界を舞台にしたストーリーと、本を愛する人々の情熱、そしてカン・ダニ(イ・ナヨン)の再起の物語は、確かに魅力的です。

しかし、主人公のカン・ダニに対して、私は時折、強い違和感や反感を覚えてしまいました。彼女は多くの称賛を受ける一方で、私と同じように厳しい視線を向ける視聴者も少なくありません。この記事では、なぜカン・ダニというキャラクターがこれほど評価の分かれる存在なのか、私が彼女を「嫌いだ」と感じてしまった瞬間を深掘りして分析します。

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カン・ダニはなぜ「応援したい」と「イライラする」を両立させるのか

カン・ダニというキャラクターは、視聴者の共感を呼ぶように巧みに設計されています。彼女は逆境に屈しない希望の象徴として描かれています。

多くの人が共感する「キョンダンニョ」の現実

カン・ダニは、いわゆる「キョンダンニョ」|結婚や出産を機にキャリアが途絶えた女性です。かつては有名広告会社で賞を総なめにしたエリートコピーライターでした。その過去は、彼女の現在の苦境が本人の能力不足ではなく、社会構造の問題であることを示しています。

結婚生活が破綻し、7年というブランクを経て再就職を目指すも、現実はあまりにも過酷です。50社以上に応募しても不採用が続く姿は、多くの女性が直面する厳しい現実を映し出しています。この点で、彼女の境遇に強く同情し、応援したくなるのは当然の感情です。

完璧な過去と絶望的な現在のギャップ

すべてを失った絶望的な状況でも、カン・ダニは驚くほど前向きです。学歴を偽って高卒として契約社員の職を得た際も、「働けることが嬉しい」と心から感謝し、雑用にも真摯に取り組みます。

彼女のひたむきさや明るい人柄は、確かにチャーミングです。物語は、この「完璧な過去」と「完全なる転落」という劇的な対比を用いて、視聴者の共感を最大化しようとします。しかし、この設定こそが、後の展開で私に「裏切られた」と感じさせる原因となりました。

私がカン・ダニを「嫌いだ」と感じた3つの瞬間

物語が進むにつれ、私がカン・ダニに感じた共感は、徐々に違和感へと変わっていきました。その理由は、物語の構造的な欠陥にあります。

瞬間1|「シングルマザー」なのに育児の苦労が見えない

カン・ダニは「シングルマザー」として設定されています。しかし、彼女の娘は物語のほとんどの期間、フィリピンに留学中です。現実の働くシングルマザーが直面する最大の障害である、日々の育児負担が物語から完全に排除されています。

娘の存在は、仕送りのための金銭的な問題として語られるだけです。育児と仕事の両立に悩む姿が描かれないため、彼女が仕事や新しい恋愛に自由に取り組める状況が、あまりにも都合よく見えてしまいました。私には、この設定が非常に表層的で、リアリティに欠けると感じられました。

瞬間2|すべてがチャ・ウノ頼り|自力での再起はどこへ?

最大の違和感は、男性主人公チャ・ウノ(イ・ジョンソク)の存在です。彼は単なる恋愛相手ではなく、カン・ダニにとって究極のセーフティネットになっています。

彼に無償で住居を提供され、彼の会社(キョル出版)で職を得て、職場でも彼の庇護を受けます。彼女の物語は、自力で逆境を乗り越える再起の物語ではなく、裕福で権力のある男性に救済される「シンデレラストーリー」に変質してしまっています。社会の弱者として描かれながら、彼女が置かれた状況はあまりにも特権的であり、彼女の苦労や成功の価値を薄めていると私は感じました。

瞬間3|無断で家に住み着く「あざとさ」

カン・ダニのいくつかの行動は、私には「純粋さ」ではなく「計算高さ」として映りました。最も顕著な例が、ウノの家に家政婦のふりをして無断で住み着く行為です。

絶望的な状況下での行動として描かれますが、これはウノの優しさにつけ込んだ甘えであり、信頼を裏切る行為です。何をしても最終的にはウノが助けてくれるという無意識の確信が、彼女の行動から悲壮感を奪い、「あざとさ」や「厚かましさ」を感じさせてしまいました。

輝くのはダニだけじゃない|キョル出版のリアルな女性たち

カン・ダニへの違和感は、彼女の周囲にいる他の女性キャラクターたちの存在によって、より一層強まります。彼女たちは、ダニの物語が回避した現実と向き合っています。

ソ・ヨンア|本当のワーキングマザーの姿

マーケティングチーム長のソ・ヨンアは、ダニとは対照的に「リアルな」ワーキングマザーです。彼女が子供の世話のために仕事に遅刻するエピソードは、仕事と育児の両立がいかに困難であるかを痛切に示しています。

彼女の姿は、育児の現実から遊離したダニの物語の不自然さを際立たせる鏡の役割を果たしています。私は、ヨンアの奮闘にこそ強く共感しました。

コ・ユソンとソン・ヘリン|自力で戦うプロフェッショナル

理事のコ・ユソンは、誰の援助も受けず、自らの努力と犠牲で地位を築き上げた女性です。編集者のソン・ヘリンも、ウノへの片思いに悩みながら、仕事への情熱とプロ意識を失いません。

彼女たちは、強力な後援者に守られるダニとは違い、自らの足で立ち、キャリアと向き合っています。彼女たちの地に足のついた生き方こそ、ダニに欠けていた要素だと感じます。

まとめ|ダニが「嫌われる」のは物語の構造的な問題だった

カン・ダニというキャラクターへの反感は、彼女個人の性格の問題ではなく、ドラマが内包する構造的な矛盾に対する反応です。このドラマは、「癒し系のロマンス」と「深刻な社会問題」という、相反する二つの目標を両立させようとしました。

結果として、「癒し」を優先するあまり、社会問題の現実は薄められ、ダニの苦悩もリアリティを失いました。「キャリアを失った女性がどう再起するか?」という重い問いに対し、物語が提示した答えは「若く裕福な王子様が救ってくれる」という古典的なおとぎ話でした。私が感じた違和感の正体は、この現実的な問題提起と非現実的な解決策の「ズレ」だったのです。

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